1998年「Hand-madeRainbow」と2001年「CURE」の2枚のアルバムをCD-Rでまさにハンドメイドで制作していた1枚のアルバムにしたお得な全17曲!
東芝EMIをやめた後に発表した「Hand-made Rainbow」は、映画「スタンドバイミー」的な夏の思い出のような明るいポップアルバムに対して、「CURE」は、当時の平田の苦悩がわかるロックアルバム。
しかし、どちらも平田らしい80年代のメロディラインは健在!当時ライブで人気だった「Everyday」「メッヘン」「CURE」「天使の詩」そしてCMバージョンの「あぁ神様」など全17曲収録!
1998年の解説「Hand-made Rainbow」
以前からぼくヒラタがモチーフとしてかかげていた 「Sons Of Sun(太陽の子)」そして、「INNOCENCE MIND(純粋な気持ち)」というイメージを膨らませ 今回のCD製作に乗っ取った「手作り」という言葉を活かし 「虹向こうの少年飛行団」を核とすることでタイトルがつけました。
その「虹」から7曲をセレクトしようと考え イントロダクションとして1曲をプラス。 そして、作業に入って約2週間、奄美の空と映画「スタンドバイミー」のような 少年たちのイメージの仕上がりに発売に踏み切りました。
2001年の解説「CURE」
ぼくの人生は、運命に見守られ順調だと思ってきた。 でも、30代をすぎて夢の挫折をあじわい 夢や純情を簡単に踏みにじるような他人の行為に 今までの甘い考えや、非力さを痛感した。 自分の生き方が本当に正しいのかを もう一度考えるようになった…
今回、神様だの、天使だのちょっと曲タイトルが 宗教っぽいけど、無宗教の僕としては 普通に生活する上で「願い」とか「感謝」とか 自身の経験や友だちと話をして感じた 「生きてることの喜びと悲しみ」を 僕なりに唄にしたものを集めてみました。タイトル「CURE」は、救いとか救済の意。
聴いてくれるみなさんに1曲でも 生きていく救いになる曲があると嬉しいなあ。
【Hand-made Rainbow】
1.この瞬間(とき)を忘れない[Intoroduction]
2.翼を持った少年
3.Sunshineを待ってる
4.Everyday
5.愛は七つの海を越えて
6.Matzchen<メッヘン>
7.虹向こうの少年飛行団
8.MIND〜1987年、夏〜
【CURE】
9.CURE
10.SilentShoutの空に
11.あぁ神様
12.祈るように
13.YORE-BORO〜よれよれスーツとおんぼろギター
14.夢の夢のその夢
15.天使の詩
16.尚子ロード
17. … <NO TITLE>
「約30秒のひとりアカペラ。 ハンドメイドレインボウのレインボウは7曲を意味し、この曲はあくまでIntoroductionとして収録した。
97年のオリンピックのCM用ということで 依頼があったんだけどCMごとボツ。 でも、白黒の映像にはまると思ったんだがなあ。 初めての一人アカペラへの挑戦だったわけですが 楽しんで作れたので、ま、いいかって感じでしたね。
1998年の最初に仕上げた楽曲で 歌詞もその時期のぼくヒラタ自身を歌った曲。サウンドはスケール感のあるミディアムROCK。 コンセプトにはまった1曲であることから収録。 1998年5月2日の平田輝バンドライブの1曲目でもあった。(CD化のためにアレンジを付け加えボーカルを全面録り直した。)
98年最初にアレンジを完成させて 音楽活動を復活させる自分の気持ちを歌にしました。 97年が最悪の年でもあったので(「妬むようい空を見上げていた」という歌詞がそれ。) とにかく払拭して1からやり直したいと思って作った矢先に ドラムスの田中徹氏から連絡があり 平田輝バンドが始まったというわけです。
この曲がライブのオープニングに使われることが多かったのは そういう気持ちもあったんですが、KEYが結構高いので 本当はもっとのどをならしたあとに ゆっくり歌いたいんですけどね。
子供にも人気を得たカリビアンサウンド。思わず身体が動いて口ずさみたくなるはず。 この曲がこのアルバムを明るく楽しくすると選曲。
楽しい感じの夏のイメージがほしくて作りました。 普通はちゃんとギターで作ってからアレンジに入るんだけど この曲に限ってはいきなりコンピュータに向かって アレンジから開始。その後にメロディをつくって 最後に歌詞をのせるという荒業。
おかげでギター1本で弾けないし(苦笑)KEYを高くつくりすぎて ライブで歌うにもちょっときついんだなあ。 この時96年は、レコード会社をやめたり事務所とトラぶったり 彼女にふられたりとかなり精神的にまいっていて 自分をはげますために作った曲でもあります。
以前からライブでは演奏されていて楽曲としては古い。 コンセプト上絶対に必要だと新アレンジで録音しました。 クラシックギターの響きにフォークソングのような心あたたまる1曲ではないでしょうか。
大学時代に作っておいた曲で東京に24歳ででてきて最初、 デニーロコンプレックスというバンドで披露。 今回はぼくの現在のイメージでアレンジしてかなり気にいってます。
大人になりたくないという願望がそのままでたような曲ですが 最近サラリーマンの心境もわかったような気もして切実な歌です。 本当に大学時代が楽しかったなあ。 いかん、ノスタルジーにふけるのは歳くった証拠といいます。 もっと頑張ってやる! 似たようなコンセプトで「ガレージソング」という曲を つくっているのですが未だに完成しないんだよなあ。
やはり1998年5月2日の平田輝バンドライブでも演奏され好評を博し、 奄美の海と空と勇気をレゲエサウンドとコーラスでまとめました。 前向きな感じが今回の収録の理由。
最初に「愛は七つの海さえ越えて」という フレーズだけができていたんですが 忘れもしない池尻大橋にある「FILL」というBARで 放送作家の小山薫堂氏が 『「人生にはオールを漕がなきゃならない時がある」という話を 聞いたんだよ。』 というのを、また聴きして一気に完成へ。
ぼくなりにアレンジしたつもりだけどでもパクリには変わらない?(笑) これを誤魔化す方法として「インスパイヤされた」っていえばいいんだよ、とも教えられた(笑) でもこの時の薫堂氏の話はぼくをかなり勇気づけてくれました。
録音はちょっと風邪気味の時で鼻声なのわかります? ボクの尊敬するSTINGに似た声の部分もあって 気にいってしまい録音しなおすのをやめました。
高校の友人からリクエストでレコーディングしてはいいけれど、高校時代に作ったメロディはあまりに暗かった。なのでボツにしかかったけれど、今はかけないリズムでメロディのような気もして、だったら、人生を渡ってきた今の想いを歌詞にして2017年バージョンとして作り直してみたフォーキーな1曲。
この楽曲だけが、唯一今回コンセプトから若干はずれているかも。 しかし、1998年5月2日の平田輝バンドライブで かなり人気を得たため今回収録。憂いのあるボサノバサウンドはライブでも必聴。
今回のアルバムコンセプトの核となった1曲。 物語風な歌詞を聴けば今回のコンセプトの全てが繋がるはず。 僕はいつかこのストーリーを映画にしたいとさえ思っています。 王道を行くポップロックサウンド。
奄美の名瀬市にはおがみ山と祈りの塔という丘があって 友達だけでよく自転車をこいで遊びにいった思い出があります。 坂がきついので結構大変でしたが みんなでわいわいとよく遊びにいきました。
帰りは疲れて無口になりながらも 奄美の夕焼けは目に焼きつくほど美しくて オレンジの夕闇を歩いたことは 今でもあざやかに記憶に残っています。
まさしくその時の映像を短編の小説のような物語風な歌詞で ぼくにとっての映画「スタンドバイミー」のようなシーンを この歌でうたいたかったわけです。 そしてこの歌をコンセプトの中心に 今回のアルバムづくりを行いました。
録音はここ2.3年になるがアルバム最後を飾るバラードは サブタイトル通り、ヒラタの青春時代最後の年のことを歌った曲。 僕のすべての友人に捧げます。 ラストのオルゴールが余韻も楽しんでほしいですね。
タイトルからもう10年以上たつことがわかりますが この1987年が大学時代最後の年。 「かかってこいこのヤローspecial」という 6人組みのコミックバンドに近いバンドで (ぼくらはエンターテイメントバンドと呼んでいました(笑)) なんと世界大会まで出場するという快挙をなしとげ、 まさに黄金の青春時代でもありました。
もちろん、歌詞の通りうまくいかなかったこともあったり、 わかりあえないこともあったりと 青春の苦い思い出もいくつかありました。 でも、かけがえのない思い出でもあり 最後のライブでこの曲を演奏しました。
またいつかみんなでこの歌を歌えたらいいなあ。 つまらない大人にならないようにしようという ボクの気持ちの原点ともいえるような曲です。
(2017年、「かかってこいこのヤローspecial」は結成30周年を迎え、郡山でライブをやります。みんなが元気に集まってこの歌が演奏できるのは本当にうれしい!)
アルバムタイトルでありアルバムを作る原動力になった曲。 アップビートながらメロディアスなナンバーで ライブでもすでに人気曲で自信作でもあります。
少年犯罪が世の中で多発。 僕には少年の気持ちを代弁するほどの力はないけど 弱者で救いを欲しがっているのに、 それがわからない人間が多いんじゃないかな、と。 僕も含めて勝手な大人が…。自虐的な反省をこめて、 そしてマスコミ批判も含めた大人への皮肉を唄いました。
アレンジはほぼ頭の中にあったのだけど、 ベースラインやリズムに関して ネリヤ☆カナヤのmayumiからアドバイスをもらいました。 ちょっとラップにも挑戦してます(笑)
2000年3月レコーディングしたものを 今回ボーカルをいれかえミックスをやり直しました。
生きてると時々叫びたくなることないですか?そんな想いを ミディアムテンポの雄大なイメージで唄にしてみました。
曲ができた時に「こんな単純などこにでもありそうなメロディ」 だと思いしばらくオクラ入りしてました。 でも、時々MDで聴くうちに(時代を感じますね(笑))意外に気持ちいいなあ、なんて(笑)
ぼくの願いは、 「穏やかで優しい日々にゆったりと生きていくこと」 そういうイメージをず〜っと追い続けていれば いつか叶うような気もしますよね。 ま、これって死ぬ間際でいいかな、奄美に帰ってゆっくりと老後とかでも…ね。 それまでは試行錯誤しながらも たくさんの人とわいわい楽しく生きたい。 だから、やっぱバンドが好きなんですよ。
知り合いからいわれたんですけど この曲のイントロ。映画「G.Iジェーン」か何かの映画音楽に似てるって(笑) すいません、ぱくっちゃったようです(苦笑)
1999年3月レコーディングしたもの。 今回コーラスを追加してミックスやり直しました。
エンヤ的なアレンジをほどこしたシンプルなミディアムバラード。
4曲めの「祈るように」は新しい生命への不安の唄ったもの。 この曲は新しい生命に感謝する唄。ちょっとしたアンサーソング。 あえて具体的な歌詞にしなかったのは 人によっては極上の感謝の瞬間ってほかにもあると思って。 シンプルなメロディにシンプルな歌詞で 結婚式とかでもBGMとか使ってほしいなあ。
福島県を中心にCMで長い期間オンエアされているようで、その福島県からのCDの問い合わせが多いんですよ。すごく嬉しかったのだけど、Hnad-madeで作ったCDが全部打り切れてしまって、どうしようかな、と悩んでいたんですが、問い合わせの中で「mp3でもいいから」という声に昨今流行のダウンロード販売に踏み切りました。ぜひこれを機会にお手持ちのmp3プレイヤーで愛聴してもらえると嬉しいですね。
1999年7月レコーディングしたもの。 今回ボーカルを取り直しコーラスを追加してミックスやり直しました。
ぼくなりの「ゴスペル」を作りたくて、 多重コーラスをフューチャリングしたミディアムソング。
この曲をつくっている当初、 本当にこれからどう生きるかを考えこんでいて、、 ある友人と飲んだ時に「妻が今、妊娠しているが高齢出産で 母体と赤ちゃん両方危ないんだ。こんなに祈る日はないんだ」と。 生きてく非力さとか、純粋な願いというのは こういうもんだ、生死を前にすれば、ぼくの悩みって 大したことじゃないんだと痛感しました。
1番の歌詞はその友だちの話から、、 2番はぼくがこれから生きていく 姿勢みたいなものを歌詞にしました。
ちなみに彼の奥さんは帝王切開にもかかわらず無事男の子を出産。 子供も今、すくすくと育っているということ。嬉しいよね。
ところでこのコーラス。女性コーラスに聴こえてますか? 実はこれ全部ぼくの声なんです、気持ちわりいって言わないでね(苦笑)
1998年1月レコーディングしたもの。 今回ミックスやり直しました。
長いタイトルのために、略したと思われがちだけど、逆で意味不明なタイトルをつけたくてこじつけました(笑)
唯一生ギターを入れ込んだアレンジで フォークロックの語り口調に挑戦(笑)
ギターをじゃんじゃらかき鳴らしていたら いつの間にか曲ができて歌詞のイメージは 夜中公園でビール片手にネクタイしめて踊っているサラリーマンの姿(笑) そりゃないでしょ、と一瞬打ち消したけど よれよれスーツとおんぼろギターが 意外に絵になるように思い直して… これもかっこええんじゃないのかな、と完成に踏み切りました。 意外に人気のある曲。
実はここ数年(というかずっとだな(笑))、 音楽1本では飯が食えないので ネクタイをしめて電車通勤をした時期もありますし、 今も満員電車に揺られることしばしば。 サラリーマンの愚痴や悲喜こもごも、 そしてストレスを体感していたものだから尚更 サラリーマンも頑張ってるんだといいたかった(笑) この曲で日本を救えないかな?(笑)
もうひとつのユニット「ネリヤ★カナヤ」では 「PA+PA+RA」や「ぐ〜すか」と ストレス解消の唄が多いのもそういうところからきているのかも。 この手の曲、経験しなきゃ作れない。 ということは、今後もシリーズ化で 唄っていくことになるということか! ひえ〜、これからもめげずに2足のわらじを続けるしかないか(笑)
2001年3月このアルバムにあわせてレコーディング。
往年のバラードって感じでしょうか? 21歳の時バンド「ワインディングロード」のラストライブでのみ披露。 間違ったアレンジで演奏したにもかかわらずの名演と言われました。
この時の演奏をなるべく忠実にコンピュータでアレンジ。 なので、ちょっと古いアレンジになってしまったけどね。 それにこの時の歌詞が支離滅裂だったので(笑) イメージを壊さないように作り直しました。
先日のライブでは今風になるようにバンドアレンジ。 昔の曲は意外な展開をすることが多くて 最近の曲づくりにちょっと反省もさせられますね。 昔作ったいい曲でいまだに日の目をみないものが結構あるので 今後もリメイクを試みようと思っています。
あ、いい忘れてました。「あぁ神様」同様、福島県を中心にCMで使っていただきました。関係者のみなさま、ありがとうございます!
1994年7月頃レコーディングしたもの。 今回ボーカル、コーラスを取り直しミックスやり直しました。
イントロのリフが印象的なミディアムテンポ。 凄く唄いやすく自分でもとても気に入っています。
1998年、バンドでやって以来のライブではおなじみの人気曲。 最初の頃、ライブアンケートの気に入った曲に チェックが少なかったので 次のライブではずしたら苦情のようなアンケートがきて(笑) それ以来ライブで定番になりました。 でもこの曲、ぼくの失恋の経験を唄にした悲しい曲なんですよ(笑)
歌詞を書き上げた時にタイトルを考えていて ちらっとしか観たことのない映画「ベルリン天使の詩」から つけたももなのですが、ぼくの作った内容と同じように 「天使が恋をする物語」だと後に知りました。 ちなみにこの映画は「シティ オブ エンジェル」として ハリウッドでもリメイクされたのは御存じの通り。
1994年3月頃レコーディングしたもの。 今回ボーカル、コーラスを取り直しミックスやり直しました。
ネリヤ★カナヤのmayumiのジャンべに叙情的なアレンジをほどこした。 ネリヤ★カナヤのふたりで作ったにもかかわらず ネリヤ★カナヤではないコラボレーション。 と書くとかっこいいでしょ? ふたりじゃ演奏できそうにないのでぼくのソロとして収録(笑)
シドニーオリンピック金メダル獲得の高橋尚子さんが 徳之島で合宿を重ねていたことで 「尚子ロード」という名前の道路が2001年冬に完成、お披露目となったそうです。 そのイメージソングとして依頼があり 今やネリヤ★カナヤでは定番になりつつある「わくわくへとの」で 共作した徳之島の前田東三さんの歌詞に曲をつけました。
やはり他人の歌詞にあわせるのは大変で かなりの難産の末にできたのですが、 曲を作る時に心掛けたのは 徳之島という雰囲気と夕焼け、 そして、高橋尚子さんの走るイメージがでること。 mayumiのジャンベが夕焼けの中を 静かにひた向きに走る高橋尚子さんの イメージに合うと思いますがどうですか?
2001年1月レコーディングしたもの。
ボーナストラックとして 「尚子ロード」を考えていたんですが… 実はこのアルバムを作っている最中に このメロディがぐるぐる回っていて 「これは神様のお告げだ」なんて(苦笑) ギリギリにギター1本でレコーディングしました。
CDのジャケットなど印刷物は すべて完成していたこともあって タイトルをつけないことにした。 これが実質上のボーナストラックですが、短くてもいい曲だと思いますよ。
2001年4月レコーディング。
CD「The Hand-Mades-ハンドメイズ-」のご購入はこちらからどうぞ!